こんな古くからの格言をご存知ですか?

魚を釣るこども

人に魚を与えれば、一日食べさせることができる。魚の釣り方を教えれば、一生食べさせることができる

この格言を『子どもと勉強』に置き換えて一度考えて頂きたいと思います。私たち大人が、目先のテストで点数を取らせることのみを目標にして子どもたちに勉強をさせることは、果たして本当に子どもたちのためになるのでしょうか?

一般に『塾』の指導方法は、目先のテストや入試を目標として、講師側からの一方的な『指示・命令』のもとで行われているのが主流だと思います。しかし、『宿題をやってきなさい』『これを覚えなさい』『~しなさい』などというような指示・命令的な指導のもとで勉強を続けていると、『答え』は一つであり、『答え』がわからないときに解決方法はあたえられるものだという偏った信念が形成されてしまいます。

そして、次第に依存傾向が強まり、将来の夢も勉強の目的も自分が本当にやりたいことすらも自分に向けてではなく、外部に答えを求めるようになります。これでは勉強の動機が自分の内側から生まれてこないので、本当の『やる気』は生まれません。その結果、子どもたちは『テストが終われば勉強しない』『入試はまだ先だから勉強しない』『ダラダラ、シブシブ勉強する』『ゲーム・マンガばかり』といったようになってしまいます。

それでも、学生時代は与えられた『答え』のもと、テストの成績さえ良ければ何でもうまくいくように感じられます。

ところが、大人になるにつれて、『答え』は自分で見つけなければなりません。学生時代の勉強とは違い、『社会』の中では『答え』は一つとは限りません。自ら状況に応じて解決手段、方法を考えだし、『答え』を導きださねばなりません。時には『答え』が見つからない状況もあり得ます。

しかし、子どもの頃から『答え』を自分の内側に求める習慣を持ち、多少の困難にぶつかっても『なんとかやってみる』という柔軟な発想で行動できたら、子どもたちの人生はそれぞれがすばらしいものに展開していくはずです。

今、ここにある自分を見つめ、なりたい自分を設定し、そこに向けて行動を開始し修正を加えていく。この過程こそが夢実現の過程であり、この過程をサポートすることが私たちマイポートの果たしたい役目なのです。

とかく、私たち大人は自分たちの『したい』や『こうなってほしい』といった価値観を子どもに押し付けてしまいがちです。しかし、マイポートは子どもたちの『したい』が何であるのかに耳を傾け、彼らが自ら望む『未来』を実現するための『変化と成長』を手助けする存在でありたいと思います。

そんな『自分』と『未来』が変わる塾。マイポートに是非ご期待ください。

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塾長 平野晃人(あきと)

国語英語カウンセリング

塾長 平野晃人(あきと)先生

プロフィール

塾講師歴25年文系科目担当 特に英語が苦手な生徒を伸ばすのが得意
趣味はキャンプと温泉巡り。心理カウンセラー・コーチ歴10年。(2022年現在)

経歴

  • 南小 ⇒ 松倉中 ⇒ 斐太高校 ⇒ 武蔵大学人文学部日本文化学科中退 ⇒ 中央大学法学部政治学科卒
  • 大学就活時はアナウンサー学校に通い、局アナを目指す。内定まであと一歩のところで。。。
  • その後、佐鳴予備校 ⇒ 神奈川大手塾 ⇒ 30歳で横浜に学習塾を立ち上げ、個別と集団の2教室を経営。
  • 40歳で帰郷し、学習塾マイポートを設立。
  • NPO法人スタートライン飛騨にて理事として不登校・ひきこもりの若者とその保護者の支援活動も行う。

講師 山崎修一

算数数学理科プログラミング

講師 山崎修一先生

プロフィール

塾講師歴10年 数学・理科担当 考え方の土台となる原理原則から伝える解説で生徒から支持を得ている。
趣味は妻と一緒にゲーム(モンハンなど)をすること。最近、健康のためにジム通い・水泳を始めました。(2022年現在)

経歴

  • 久々野小 ⇒ 久々野中 ⇒ 斐太高校 ⇒ 国立富山大学 ⇒ コンピュータ総合学園HAL(ミュージック学科)卒業。
  • 大学在学中、就活をしていて「自分には社会人として人に誇れるようなスキルがないのではないか」と思い悩み、なにか身を立てる技術を身に付けたいと考え、「どうせなら、好きなことを仕事にしたい!」と思い、高校・大学を通してやっていた音楽(吹奏楽)を活かして作曲の勉強をしようと専門学校に進学。しかし、現実は甘くなく、挫折。その経験から、生徒には出来るだけ早い段階から将来を考えるきっかけを与えていきたいと考えている。
  • その後、名古屋大手塾で中学受験部門⇒個別指導部門で塾講師を務めるが、「生徒の状況によらず売上優先で授業を多くとらせる姿勢」に疑問を抱き、退社。その後、飲食店店員、雀荘店員などとして働く。
  • 35歳で帰郷し、道の駅の職員として働いている時、知人の紹介で塾長の平野と出会い、マイポートに入社。現在に至る。